あれから2週間が経ちました

12月12日、6年目を迎えた常勤職員が永眠し、

私たちにとって、決して忘れる事ができない日となりました。


あまりに突然のこと過ぎて、起こったことを受け止めきれず。

それは当然、ご家族にとっても同じで。

それでも気丈に最後のお別れにむかっていかれるご家族と話すうち、どうしようもない現実と、自分がしなければならないことを理解しました。




平成21年4月、法人を立ち上げ3年目となり、初めて迎える事ができた新入社員でした。

リーマンショックの影響で、福祉に流れてきた第2新卒。

面接では、大きな体で汗をかき、アイドルの追っかけをしているというオタク気質をみせつつも、それだけではない博識な素養も見せていました。友人の間ではムードメーカー的な存在と、自分で言ってしまうのが面白くて。

まじめが3人そろったえとせとらに、まったく別な要素が加わることの期待もあって採用した職員でした。


未知のため不安もあったオタク要素は、発達障害圏のこども達に見事にヒットし、「今日は○○さんいますか?」と毎回ご指名をうけてしまうほどオンリーワンなヘルパーとなっていきました。

自称ムードメーカーは、職場の中では存分に発揮され、人間関係が明るくなったことは間違いなかったと思います。

意外に人見知りですし、繊細で気分屋なとこもありましたが、根は優しく愛嬌のある人柄で、ご家族とも良好な関係を築けていたように思います。


今年は責任者という立場となりましたが、気長に計画的にコツコツというタイプでは全くないので、役職の責任と、こなさなくてはいけない実務に悩み、苦しんでもいました。


手のかかることもたくさんありましたが、どこか憎めない性格に、私たち自身も救われることはたくさんあり、かわいい奴でもありました。


ちょうど30歳を迎え、まさにこれから・・・という時期でした。


あまりに、あまりに早すぎた別れは、ご家族に自身の残してきた足跡を伝える時間も与えませんでした。

僕自身もそうですが、いい年齢の大人が自分の人生を家族とゆっくり話すのは、きっともっと先なのだと思います。


ご家族から、彼の勤めた6年に感謝の意をいただいた時、「えとせとらでの6年が彼にとって幸せだったのか?」、楽しんでる姿も、苦しんでいる姿も見てきた僕にはわかりませんでした。

それでも、何とか、彼の6年をご家族に伝えたかった。


「家族葬」という話を聞き、とても迷い、悩みました。

一部の職員だけで参列することも考えました。

静かに、厳かに最後の別れを偲びたいのかもしれない。

社葬でもないのに、自分達の想いばかりを通すわけにもいかない。

悩みつつ、でも伝えたくて、お母様に相談させていただきました。


幸い、ご家族としても、息子のことを好きだった人で送り出したいという趣旨だったようで、こちらにもどのように声をかけてよいか迷っていたとのことでした。

こども達・ご家族・仕事内容のこともわずかではありますが聞いて見えたようで、こころよく、縁のあった方は是非にとおっしゃっていただけました。そのお気持ちに応えるため、こども達の参列のためのサポートを全力でおこなうことを約束しました。


急なことにもかかわらず、本当に、本当にたくさんの方々がかけつけてくださいました。

日中一時、移動支援、行動援護、そして光陵での放課後デイ。彼の支援の歴史をみるような、こども達、ご家族、そして法人スタッフ、関係者が会場から溢れ出る程集まって下さり、別れを偲び、涙を流してくださいました。


僕としても、彼が支援の中でどんな関わりをしていたのか、どれだけの人達に想われ、可愛がっていただいていたのか、多くの方から寄せていただいた言葉とともに、あらためて知ることとなりました。

そこには、間違いなく彼の6年の集大成があったと思います。

あたり前ですが、会場はにぎやかとなり、ご親族、ご友人の中には驚かれた方もいるかもしれません。私達も全力を尽くしましたが、十分なサポートであったかわかりません。

しかしながら、ご両親は本当に心から受け入れて下さり、こども達ひとりひとりに声をかけてくださっていました。

ご家族にも彼の6年を何とか伝えられたのではないかと思っています。

そして、不謹慎かもしれませんが、私たち えとせとら らしい「お別れ」ができたようにも思っています。


お集まり頂いた皆様、想いを寄せていただいた皆様、私どもの職員に寄せていただいたお気持ち、本当にありがとうございました。

こんなにも想っていただける職員を送り出せたことを誇りに思いますし、それだけの職員に育てていただいたこと、大変感謝しております。

また、残された私たちのことを案じ、暖かい言葉をかけていただいた皆様、ただ ただありがたかったです。


彼がえとせとらでの6年を幸せに感じていたか、それは彼にしかわかりません。

ただ、こんなにもたくさんの方に想われていた彼は、間違いなく「幸せな奴」でした。


不意に訪れる、喪失感や寂しさ、哀しみはしばらく続くのでしょうが、私たち自身が歩みをとめるわけにはいきませんので、彼の残した足跡をしっかり胸に刻みつつ、前に進み続ける事が供養にもなると信じています。



毎年12月12日には、より成長した えとせとら を報告できるよう、職員一丸となり、皆様と歩み続けていきたいと思っています。


大変お世話になり、ありがとうございました。


そして、今後とも私たち、えとせとら をどうぞよろしくお願い致します。

平成26年12月26日

特定非営利活動法人 えとせとら

     代 表  川 地 正 男





身体の大きな彼が、ヘルパーとしてどれだけ動けるか見るため、利用者さんと一緒に出かけた水瀬川



春先で桜がきれいだったのが、懐かしいです。












こども達が、少しでも「お別れ」の時間を理解できるよう、つくったスケジュール。どれだけ伝わったかわかりませんが、これを手掛かりにしてくれた方が何人かみえました。



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