こんばんは。
マチルダの澤井です。
パニックのときの対処法って時々聞かれます。
ぼくもあんまり分かってないんですという前提に立って
あまり反応しないほうがいいかな?と伝えます。
パニックを起こすと、何かゲットできるという誤った学習につながるから。
発語がある子はこれでは説明できない気がします。
発語のある子はその子が聞いてほしいタイミングで話を聞いてあげればいいのでは?
発語がない子(発語できる、できないと言わないようにしてます。発語したほうが周りは嬉しいと思うけれど、発語がなくても豊かにコミュニケーションできる可能性はあるから)は、
音声言語を聞き取り理解するのが苦手な子も多いし、その中で逆に自分から自分の要求をたくさん発言する子は少ないのではないでしょうか。
そうすると、この我々の生きる世界はパニックの元なんですよね。
大人はその日の気分やいろいろな事情で、いつもの当たり前にある、おやつやご飯、寝る時間、お迎えの時間などを変更します。
言葉を分からない人たちは、割りと映像的な記憶に頼って生活しているような気がします。抽象的にあと5分でお家だという理解をしない場合、この道、つぎの信号、そんであの道と覚えているほうが、安心するのかなと思います。
でも、僕らは何の気なしに彼らが鍵にしている条件を変えてしまいます。
でパニックになると。
パニックには反応するより、落ち着くまで待った方がいいんじゃないのかなと思います。
言葉の理解があまりない人に、優しさのつもりでたくさん声をかける、そしてその本人は必死で半狂乱でおかしくなりそうなのをこらえている。
そんなとき、言葉の理解があまりな人に、僕らの声は届きますか?
たぶん聞こえても聞こえないし、逆に余計混乱するかも。
だから、ほうっておくのがいいかなと思いますが、
でもじゃあいつも無視したり、ほうって置くのがいいのか?というと
たぶん無理ですよね。
とくにご家庭や経験の少ない支援者の人は
「熱意のある無理解な支援者」には気をつけないとですけど。
まあ、怒ってたら、慰めたり、気を紛らわすのにおもちゃを上げたり
でいいんじゃないかなって思います。
それが続いて、どうもおもちゃやお菓子、母の注目を集めるために
パニック、他害などになってるようだと気づいた時は、しっかり考えないといけないかなと。
ぼくは子どもが泣いてても比較的冷静でいます。ちょっと心は痛みますが。
パニックのとき、こう関わるとどうなるのかな?って漠然と想像しながら
ほうっておいたり、背中や足をトントンしたり、「つらいね」と共感したり(この言葉が本人にとって慰めになるかは分かりませんが、ひとまず届いたらいいなあぐらいです。)
自分を責めやすい支援者は自分を責めるのをやめよう、ポジティブなことあるじゃん。一日生きてれば。
自分を責めやすい親御さんは支援者に愚痴ってください。聞きますから。話してるうちに、ポジティブなことに目を向けれる余裕が出てくるはず。
ちなみに澤井は最近支援を上手く組めてる気がしないので、なんだかネガティブですww
まあ、少しづつ少しづつ 子どもの本当の願いを探しながら 問題行動を解決するより 新しい行動の獲得をしてもらうイメージで。
かっこよく言うとそういうことです。
さわい拝
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